大陵苑圏(天馬塚) 慶州 新羅古墳

慶州路東里・路西里古墳群

慶州市外バスターミナルから徒歩10分ほどの場所にある慶州路東里・路西里古墳群は、綺麗に整えている大陵苑(テヌンウォン)と違い、こんもりとした小高い丘のようにみえる古墳が未だに慶州市民たちの家々と軒を並べながら大陵苑の後門からすぐのところに位置しています。大陵苑の後門の向かい側にある鮑石路を中心にして東西に広がり、新羅歴史の流れの中でその姿を残しています。

慶州路東里古墳群

鳳凰台 (ボンウデ)

史蹟第38号に指定されている路東里古墳群は、全3基の中で規模が割りに小さい2基「金鈴塚(クンリョンチョン)」、「飾履塚(シッリチォン)」のみ発掘調査がなされており、発掘されていない大きな古墳は一名「鳳凰台(ボンファンデ)」と呼ばれている古墳があります。 この古墳は高さ22メートル、円の周囲が250メートルにも至り、単一古墳としては新羅の墓の中で最も大きい王陵と言われています。

慶州路東里・路西里古墳群
慶州路東里古墳群の金鈴塚と鳳凰台

金冠と金鈴が出土されたことから、名付けられた金鈴塚(クンリョンチョン)は、新羅時代の真髄を知る高さ27センチの金冠をはじめ、国宝91号の陶製騎馬人物などの多くの遺物が出土されました。 飾履塚(シッリチォン)は華麗な金銅製の飾履が出土したことから、名付けられるようになりました。この古墳は墓墳のなかに東西5.3メートル、南北3.3メートル、高さ1.2メートルほどの木槨をもうけ、その上に河原石を積み上げ、径が約9メートルほどの積石で覆い、土を盛った4世紀から6世紀にかけて造成された典型的な積石木槨墳です。また、副葬品としては、金銅製の飾履をはじめ、各種の装身具・土器・金属器・鉄器などの容器類と馬具・武器などが出土されました。

慶州路西里古墳群

慶州路東里・路西里古墳群
金冠塚

路西洞一帯の平地に密集されている史蹟第39号に指定されている路西里(ロドンリ)古墳は、今までに5基のお墓が発掘調査され、数多くの遺物が出土されました。 1921年に最初に金冠が出土して名付けられた「金冠塚(クムクァンチョン)」をはじめ、1926年にスウェーデンの皇太子が発掘に参加し、金冠が出土されて名付けるようになった「瑞鳳塚(ソボンチョン)」などがあります。

慶州路西里古墳群の瑞鳳塚

1946年最初に韓国の考古学者によって発掘調査された「壺棹塚(ホウチョン)は、高句麗の広開土大王の祭器として使われた蓋がついている青銅の盒(壺棹)の底の表面に刻まれている銘文により名付けられました。 そして、高句麗の遺物がどのように慶州までも流れてきたかは明らかにされてはいないが、当時、高句麗と新羅が友好閑係にあったことを裏付ける貴重な遺物と言われています。

壺棹塚(ホウチョン)

以前、盗掘されたのを日本の梅原末治が再調査した際、古墳から馬の骨や馬具などが出土されたことから名付けれた馬塚(マチョン)、石の寝台が二台が見つかったことから、名付けられた雙床塚(サンサンチョン)などを通して、昔の物語がタイムスリップして私たちの前に現れるようです。

馬塚(マチョン)

雙床塚(サンサンチョン)

雙床塚(サンサンチョン)

慶州路東里・路西里古墳群
慶州路東里・路西里古墳群

また、平たい古墳もいくつか目にするかそれはまだ文化遺産の認識が薄かった時代に古墳の封墳を建築材として使われて平たい古墳になったとか、古墳公園にはそこここにベンチが置かれていて、地元の人が休憩をとったり、散歩する場所でも利用されています。

スポット名 慶州路東里・路西里古墳群
경주노동동 ・ 노서리고분군
住所 慶尚北道慶州市路西洞104
경상북도 경주시 노서동 104
入場料 無料
指定慶州大陵苑一圓 史跡512号
行き方慶州市外バスターミナルから徒歩10分ほど

※上記の記事は取材時点での情報を元に作成しています。 現地の事情によって今とは内容が異なる場合がありますので、ご了承ください。

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