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Tag - 慶尚北道

安東民俗村

安東民俗村

安東民俗村は、安東民俗博物館の野外博物館として安東ダムの建設によって水没される地域の民俗文化財を保存するために1976年に造成されました。 村の入り口には二つのジャンスン(丸太に人の顔を掘ったもの)があり、その横には安東出身の詩人李陸史(1904-1944)の詩碑があります。左手の方に坂を登っていくと道沿いに茅葺きの家や瓦屋の家屋が並び、昔の人々の生活の様子がうかがえます。 民俗村を過ぎさらに坂を登っていくとドラマ「太祖王建」の撮影地があり、撮影に使われた高麗時代の役所、牢獄、民家などを見学することができます。...

屏山書院

屏山書院

慶尚北道 安東市の河回村から東へ約6キロほど離れているところにある屏山書院は、豊山邑にあった豊山 柳氏家門の教育機関である豊岳書堂を1572年に儒学者 柳成龍(リュ・ソン二ョン、1542~1607)が現在の位置に移しました。その後、1613年に柳成龍を慕う門人らが儒学学校として発展させて屏山書院が創建されました。 1863年には王より"屏山"という扁額が与えられ、1868年、当時の権力者である興宣 大院君の書院撤廃令によってその対象から除外された47書院(安東では屏山書院と陶山書院の2院)のうちの一つです。...

陶山書院

陶山書院

慶尚北道 安東市の北東に位置する陶山書院は朝鮮時代の儒学者 退渓 李滉(テゲ イ・ファン:退渓は号、1501~1570)が学問研究や儒学教育などのため1561年に建てられました。 当時は、退渓が自ら儒学を研究し、弟子を教えた『陶山書堂』と弟子たちが住居した『ノン雲精舎』の二つの建物しかありませんでしたが、退渓の死後、1574年に退渓を慕う弟子や儒学者らが儒学学校として増築し書院に発展させ、翌年には当時の王である宣祖が退渓の功績を偲び 「陶山書院」 と書かれた扁額*を与えました。 退渓...

鳳停寺

鳳停寺

韓国儒教の街、安東市内から西北方面に約30分ほど離れている鳳停寺は、新羅672年(文武王(ムンムワン12年)、義湘大師の弟子である能人大師が修行のあと、道力で折り紙の鳳凰を作って飛ばしたら、この鳳凰が降り立ったこの場所にお寺を建てたことから鳳停寺と名付けられたと言われています。 鳳停寺は、朝鮮戦争(1950年~1953年)で多くの資料が消失しているため創建以後の寺院の歴史はほとんど伝わっておりませんが、1972年に行った極楽殿の補修工事の際に見つかった上樑文 (サンニャンムン、棟上げを祝う文)...

寒喧嶺(ハヌルゼ)

寒喧嶺

慶尚北道 聞慶市 聞慶邑 觀音里から忠清北道 忠州市 水安堡 彌勒里へ超えて行く境界にある高さ525メートルの峠です。韓国初の開拓された峠道として三国時代(156年)に新羅の第8代目の阿達羅王が高句麗を攻めるために開拓した峠です。当時は交通の要地であり、軍事的にも重要な拠点であったハヌルゼは、朝鮮時代に聞慶(ムンギョン)セジェという新しい峠道が開拓され、その役割も縮小されました。 以前には、鷄立嶺、大院嶺などで呼ばれてきたのですが、最近は、ほとんどの地図では寒喧嶺(ハヌルゼ)...

聞慶セジェ道立公園

聞慶セジェ道立公園

慶尚道とソウルを短距離で結ぶ李氏朝鮮時代の峠道に多くの観光客が訪れる こんにちは、釜山とソウルのほぼ真ん中にある聞慶セジェは、李氏朝鮮時代に嶺南地方(慶尚道)と漢陽(ソウル)を短距離で結ぶ嶺南大路の道として、重要な位置を占めていた峠です。1592年4月13日、釜山港に上陸した豊臣秀吉軍もこの聞慶セジェを超えて漢陽へ北上したほど昔から軍事的な要衝地でもあり、今は、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)後に築城された3つの関門が歴史を物語っています。 第一関門の主屹関から第二関門の鳥谷関、第三関門の鳥嶺関まで続く約6...