2019年4月26日
  • メニュー
  • メニュー

百済城

光陽 馬老山城

馬老山城(マロサンソン)は光陽(クォンヤン)市内から東へ3キロほどの場所にある海抜208.9メートルの馬老山(マロサン)頂上部を囲んだ百済時代の包谷式山城です。お城は馬の鞍のように山の両方は高く、真ん中が低い場所に位置しています。南は光陽湾と順天倭城、北西は光陽邑、南には南海高速道路が一望できるところにあり、南西へ約6.7キロ地点にも百済の順天檢丹山城が位置しています。争いが頻繁に起きった三国時代のときの百済と新羅の国境地であり、海と接しているために軍事的に重要な要衝地でした。...

上黨山城

忠淸北道 淸州市内と隣接する山の頂上を石垣で取り囲む上党山城(サンダンサンソン)は、面積は約22万坪、総延長4.2キロにも及ぼす大規模の石垣の山城です。また、上党山城の名称は、三国時代の淸州地域が百済の「上党県」と呼ばれていたことに由来しています。 百済時代に土城として築かれたと伝わる上党山城は、三国史記に金庾信の三男・キムソヒョン(元貞公)が西原述城を築いたという記録があり、その後、朝鮮時代の宣祖29年(1596)に文禄・慶長の役の際に改修し、18世紀には石城への大々的に改築工事などが行われ、今まで至っています。...

扶余羅城

扶余羅城

こんにちは、百済の首都、泗沘(サビ)を保護するために自然地形を利用して扶余の外郭をめくらせた土の城壁です。百済の聖王(24代、523~554)のときに築城されたという扶余羅城(プヨナソン)は、扶余市内にある扶蘇山城から約300メートルほど離れたところにある靑山城(チョンサンソン)と繋ぐ北側と、そこから百済王と王族の王陵がある陵山里古墳群(百済王陵園)を通り過ぎ、錦江の白馬江まで続く東側を保護するための6.3キロくらいの城壁です。...

扶蘇山城

扶蘇山城

プヨ市内の北側にあり、遊覧船が通う白馬江(白村江)の川辺にある小高い山・扶蘇山(106メートル)に造られた百済時代の山城です。扶蘇山城は、538年、百済の26代の聖王が熊津(ウンジン、今の公州)から泗沘(サビ、今の扶余)に都を移した後、660年、百済が滅亡するまで123年間、百済の都だったところで、当時はサビ城と言われました。城内はゆっくり散策ができるように綺麗に整備されおり、落花岩(百花亭)、三忠祠、半月楼、軍倉址、泗泚樓、皐蘭寺、迎日楼などの文化財があります。 2015年、百済歴史遺跡地区の一か所としてユネスコ世界遺産になりました。 基本情報 スポット名 扶蘇山城...