2019年4月26日
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城郭

東萊邑城

朝鮮時代東莱府の行政の中心地を城壁で囲んだお城であり、文禄の役が勃発すると、日本軍の1次攻撃目標になって東莱城の戦いが繰り広げられた激戦地  1972年6月26日、釜山広域市記念物第5号に指定された東莱邑城は、朝鮮時代・東莱府の行政の中心地を城壁で囲んだ朝鮮時代のお城です。周囲1.9キロに至る東莱邑城は、忠烈祠の裏山から馬鞍山(マアンサン)を経て東莱郷校の裏山まで続く丘陵地と、現在の東莱中心地・東莱市場までの平地を一部含んだ典型的な平山城です。山城と平城の利点を揃った韓国の代表的な邑城です。 復元された東莱城の北門と城壁、そして築城当時の石垣が残っています。...

東萊邑城壬辰倭亂歷史館

2005年4月、釜山都市鉄道4号線の壽安駅(スアンヨッ)建設工事現場で東莱邑城の堀が発見された後、2005年7月から2008年8月まで5回にわたり発掘調査を行われ、堀で壬辰倭乱の時に東莱城の戦いで犠牲された約100人前後の人骨と様々な武器などが出土されました。2011年1月28日「東邑城壬辰倭乱歴史館」をオープンしました。...

光陽 馬老山城

馬老山城(マロサンソン)は光陽(クォンヤン)市内から東へ3キロほどの場所にある海抜208.9メートルの馬老山(マロサン)頂上部を囲んだ百済時代の包谷式山城です。お城は馬の鞍のように山の両方は高く、真ん中が低い場所に位置しています。南は光陽湾と順天倭城、北西は光陽邑、南には南海高速道路が一望できるところにあり、南西へ約6.7キロ地点にも百済の順天檢丹山城が位置しています。争いが頻繁に起きった三国時代のときの百済と新羅の国境地であり、海と接しているために軍事的に重要な要衝地でした。...

上黨山城

忠淸北道 淸州市内と隣接する山の頂上を石垣で取り囲む上党山城(サンダンサンソン)は、面積は約22万坪、総延長4.2キロにも及ぼす大規模の石垣の山城です。また、上党山城の名称は、三国時代の淸州地域が百済の「上党県」と呼ばれていたことに由来しています。 百済時代に土城として築かれたと伝わる上党山城は、三国史記に金庾信の三男・キムソヒョン(元貞公)が西原述城を築いたという記録があり、その後、朝鮮時代の宣祖29年(1596)に文禄・慶長の役の際に改修し、18世紀には石城への大々的に改築工事などが行われ、今まで至っています。...

達城公園

スポット名達城公園달성공원住所大邱広域市 中区 達城洞 294-1대구광역시 중구 달성동 294-1電話番号053-554-7907時間05:00~21:00 7~8月 05:00~23:00時代三韓時代(達句伐)休業日なしサイト

聞慶セジェ道立公園

聞慶セジェ道立公園

慶尚道とソウルを短距離で結ぶ李氏朝鮮時代の峠道に多くの観光客が訪れる こんにちは、釜山とソウルのほぼ真ん中にある聞慶セジェは、李氏朝鮮時代に嶺南地方(慶尚道)と漢陽(ソウル)を短距離で結ぶ嶺南大路の道として、重要な位置を占めていた峠です。1592年4月13日、釜山港に上陸した豊臣秀吉軍もこの聞慶セジェを超えて漢陽へ北上したほど昔から軍事的な要衝地でもあり、今は、壬辰倭乱(文禄・慶長の役)後に築城された3つの関門が歴史を物語っています。 第一関門の主屹関から第二関門の鳥谷関、第三関門の鳥嶺関まで続く約6...

慶州邑城

慶州邑城

慶州は千年歴史の息吹が感じられるところですが、高麗時代や李氏朝鮮時代の遺跡も慶州の街中に多く残っています。慶州駅前の城東市場と近隣している場所に高麗時代の顯宗3年(1012年)に築かれたと推定している慶州邑城の跡地があります。 慶州市東部洞と北部洞にわたって石で築造された慶州邑城は、城の回りが2,400メートル、城壁の高さ3,6メートルくらいの規模の城でしたが、 文禄の役やモンゴルに侵略によって破壊と修復が繰り返されました。 また、近代になっては慶州市街地の拡張によってお城のほとんどが崩され、現在は90メートルの城壁だけが当時の面影を残すのみであります。...

扶余羅城

扶余羅城

こんにちは、百済の首都、泗沘(サビ)を保護するために自然地形を利用して扶余の外郭をめくらせた土の城壁です。百済の聖王(24代、523~554)のときに築城されたという扶余羅城(プヨナソン)は、扶余市内にある扶蘇山城から約300メートルほど離れたところにある靑山城(チョンサンソン)と繋ぐ北側と、そこから百済王と王族の王陵がある陵山里古墳群(百済王陵園)を通り過ぎ、錦江の白馬江まで続く東側を保護するための6.3キロくらいの城壁です。...