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世界遺産

清州古印刷博物館

清州古印刷博物館

世界で最も古い金属活字本で、ユネスコ世界記録遺産に登載された「白雲和尙抄錄佛祖直指心體要節]」を印刷していた高麗時代の興徳寺址の上に建立された古印刷専門博物館です。省略して呼ばれる「直指心經」または「直指」は、高麗末・1377年に仏教の最高の徳目といわれる「禅」の内容を集めて印刷したこの活字本は、世界初の金属活字と知られたドイツの「グーテンベルク聖書」より70年進んだものですが、本物の「直指」は、現在フランス国立博物館に保管されています。...

大陵苑・天馬塚

大陵苑・天馬塚

最も大きい規模を誇る新羅時代の代表的な古墳公園である大陵苑・天馬塚 慶州市市内の皇南洞に位置する大陵苑は、木槨の上を大人の頭ほどの丸々の川の石を高く積み上げ、その石が崩れ落ちないように土で固めた4世紀~6世紀の新羅時代の典型的な積石木槨墳が集まっている慶州の代表的な古墳公園です。...

皇龍寺址

皇龍寺址

皇龍寺は、新羅真興王14年(553)に創建されて高麗高宗25年(1238年)の蒙古軍の侵攻によって焼失されるまで700年も続いた新羅最大の護国寺院です。特に、真興王35年(574)に鋳成された金銅三尊丈六尊像と善徳女王14年(645/新羅27代)に建立された九層木塔は、真平王の天賜玉帯と共に新羅三寶として知られています。 「三国史記」と「三国遺史」による皇龍寺の創建は、553年(真興王14年/新羅24代)に慶州月城(新羅の宮殿)から少し離れた東に新しい宮殿を建てようとしていたところに黄色い龍(皇龍)が現われたために宮殿造営をやめて皇龍寺という寺院を造り始めました。...

扶余官北里百済遺蹟

扶余官北里遺蹟

プヨ市内の北側にある扶蘇山城(106メートル)からプヨ市内へ降りたところに百済サビ時代(泗沘、今の扶余、538~660)の王宮跡だと推定される扶餘官北里遺蹟があります。多年間にわたる発掘の結果、7間×4間に東西の長さ35メートル、南北の長さ18メートルに達する大規模の建物跡、首府名の瓦、南北・東西方向の道路、排水路、池、地下倉庫、石垣施設などの遺構が確認され、百済の王宮を把握するのに貴重な研究資料になるといわれています。 2015年、百済歴史遺跡地区の一か所としてユネスコ世界遺産になりました。 基本情報 スポット名 扶余官北里遺蹟 住所 忠淸南道 扶余郡 扶余邑 官北里...

扶余羅城

扶余羅城

こんにちは、百済の首都、泗沘(サビ)を保護するために自然地形を利用して扶余の外郭をめくらせた土の城壁です。百済の聖王(24代、523~554)のときに築城されたという扶余羅城(プヨナソン)は、扶余市内にある扶蘇山城から約300メートルほど離れたところにある靑山城(チョンサンソン)と繋ぐ北側と、そこから百済王と王族の王陵がある陵山里古墳群(百済王陵園)を通り過ぎ、錦江の白馬江まで続く東側を保護するための6.3キロくらいの城壁です。...

慶州南山 七仏庵

慶州南山 七仏庵

8世紀に彫られた統一時代の素敵な慶州南山の石仏! 慶州南山は青空博物館と呼ばれるほど、石仏、摩崖仏、石塔、石灯籠、蓮花台座などの数多くの仏教遺跡が綺麗な姿で残っています。特に東南山の統一殿のほうから約1時間ほど山上ったところには南山で最も美しく大きい磨崖石仏群が祭られている七仏庵(チルブルアム)があります。南山の仏教遺跡のうち、唯一に国宝(312号) に指定されている七仏庵(チルブルアム) 磨崖石仏群(マエソッブルクン)は、高さ5メートル、幅8メートルの大きな岩肌に浮き彫りに彫刻された三体仏と、その前にある柱状の岩に刻まれた四面仏を合わせて七仏庵と呼んでいます。 慶州南山...

海印寺

海印寺

国宝第52号の世界文化遺産の海印寺蔵経板殿と、国宝第32号の世界記録遺産に登録されている高麗八万大蔵経 こんにちは、大勢の信者さんや世界遺産を求めに観光にきた人々でいつも賑わっている海印寺(ヘインサ)は、国立公園として指定されている(カヤサン)の南側の深山に位置しています。 海印寺海印寺(ヘインサ)は韓国華厳宗の華厳十刹の一つであり、梁山通度寺、順天松広寺とともに仏・法・僧の三宝寺院に数えられています。三宝寺院のうち、仏の教えを丁寧に木版に浮き彫りに刻んだ高麗八万大蔵経が収められていることから法宝寺刹と言われています。...

慶州月城

慶州月城

世界文化遺産・慶州歴史遺跡地区の月城地区にある新羅時代の宮城 新羅第5代の王である婆娑尼師今(朴氏、110年)のときに築城された新羅の王城。お城が半月の形にしているので半月城とも呼ばれており、土と石を混ぜてつくられた周囲2,400メートルの月城は、お城の周りは堀と川に囲まれた自然地形を十分に利用したこじんまりの新羅時代のお城です。新羅の宮城を明活山城に定めた新羅第20代の慈悲麻立干(金氏、475年)と新羅第21代の炤知麻立干(金氏、487年)の時期を除くと、935年高麗に降伏するまでひたすら新羅の王が居住した王城でした。...