2019年4月26日
  • メニュー
  • メニュー

益山市

益山弥勒寺址全羅北道西北端部に位置し、北は錦江(クムガン)を境界に忠清南道の論山(ノンサン)市と扶余(プヨ)郡に接しています。

歴史的には百済の地であり、百済第30代王・武王になった薯童(ソドン)の生まれ故郷でもあります。この薯童と新羅の善化公主との国境を乗り越えた愛をテーマに、毎年9月末から10月の初めに益山薯童祭りが行われます。

観光スポットには、百済最大の伽藍と言われる弥勒寺があります。現在はその名残をとどめるだけで建物は残っておらず、7世紀に武王が建立したとされる石塔が残っており、高さ14.24mの石塔は韓国最古、最大石塔であると言われ国宝に指定されています。また、2015年7月、百済歴史遺産地区のうち、益山彌勒寺址と王宮里遺跡がユネスコ世界文化遺産に登録されました。

益山 石仏寺

益山 石仏寺

こんにちは、2015年世界文化遺産に登録された弥勒寺址から北へ約3キロほど離れた場所に百済時代に作られたと推定する石仏と光背があります。最近作られた仏頭を除いた高さ156センチの石仏寺の石仏は、1989年、2011年の2回にわたって行われた馬韓・百済文化研究所の発掘調査によると7世紀前半期に刻まれた百済時代の石仏と推定しています。...

師子寺址

師子寺址

こんにちは、2015年世界文化遺産として指定された弥勒寺址が一望できる海抜426.9メートルの弥勒山には弥勒寺創建にまつわる説話が伝わる百済時代の師子寺があります。 百済の武王(600~641)と王妃善花公主が弥勒山​(旧龍華山)​​の獅子寺へ行こうとした時、山麓にあった池の中から弥勒三尊が現れたので善花公主は、ここの池を埋めてお寺を作ろうとして、獅子寺の知命法師に頼んだら法師は一夜で池を埋めてそこにお寺を建立したと伝わっています。​...

ミルクサンスンドゥブ

ミルクサンスンドゥブ

韓国最古の石塔がそびえ立っている益山彌勒寺址と近隣にある純豆腐専門店です! こんにちは、釜山に来たら必ず回る観光スポットのひとつになっている新羅千年の都、慶州は、あちこちに遺物が埋もれている街ですね。 そんな新羅と領土争いをやってた百済は、7世紀に唐・新羅連合軍によって滅ぼされ、古代百済の地でもある扶余(プヨ)郡と公州(コンジュ)市は、慶州に比べたら当時の遺物はそれほど残っていない街ですが、全羅北道西北部に益山市(イクサン)市には、韓国最古の石塔や、百済第30代王・武王になった薯童(ソドン)と新羅の善花公主との恋の物語が伝わる益山彌勒寺 (イクサンミルクサ)...

王宮里遺跡展示館

王宮里遺跡地・王宮里遺跡展示館

益山彌勒寺 (ミルクサ) 址から約6キロくらい離れている王宮里遺跡地は、百済王室と直接関わりのある百済末期の武王時代に造成された重要な王宮址として知られています。 国立扶余文化財研究所により、1989年から発掘調査をはじめて、現在も盛んに発掘している王宮里遺跡地は、南北490余メートル、東西約240メートルの規模の長方形の石築の城壁の内側に大規模な建物の跡、庭園、工房、トイレなど様々な遺構が出土され、王宮里という地名のように百済時代の王宮またはそれに相応しい関連施設があった場所ではないかといわれています。 高さ8.5メートルの王宮里5重の石塔と発掘現場...

益山弥勒寺址の韓国最大・最古の石塔

益山弥勒寺址

韓国最古であり、韓国最大の石塔がある百済の益山弥勒寺址 こんにちは、百済の最後の王都だった扶余を囲むように流れている白馬江から南方へ約31キロほど離れた場所に位置し、百済後期の遺跡が多く残されている益山市の彌勒寺址は、百済第30代王武王(ムワン/580~641年)によって建立された東西260メートル、南北640メールの韓国最古であり韓国最大の石塔があるお寺です。 益山彌勒寺址は、弥勒寺址遺跡展示館と書いてある正門を入って進むと真正面に弥勒寺址遺跡展示館があります。...