忠淸南道 扶余郡の中心部に位置する定林寺址は、百済が扶余に都を移した泗沘百済時代(538年から660年まで)に建立された百済時代のお寺です。 定林寺址(チョンニムサジ)は、益山(イクサン)の彌勒寺址石塔とともに百済時代の代表的な石塔といわれる高さ8.33メートルの定林寺址5重の石塔と高麗時代の石仏坐像を保護するため、1993年に建てられた切妻屋根の木造建物と蓮の池があります。 優雅な美しさを披露するように立ている定林寺址5重の石塔には百済滅亡に纏わる話があります。660年新羅と中国の唐の連合軍によって百済の泗沘都城の扶余が陥落され、百济は幕を閉じるようようになりました。...
