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[停戦70年、避難首都釜山]避難(ピラン)民の哀愁が漂う40段の階段

"40段の階段の段差に座って泣いている旅人、泣かないで冷静に話してください。避難生活を哀れに同情する板張りの小屋の慶尚北道のお嬢さんが哀れそうに尋ねる。"

6-25戦争(韓国戦争)が真っ最中の1951年にヒットした歌手パク・ジェホンの歌「慶尚南道のお嬢さん」の歌詞だ。

泣きながら越える「パクダルジェ」「水車」などの歌で知られる元老歌手パク・ジェホンが歌ったこの歌には、ピラン民の哀歓が込められた空間である「40階段」が登場する。

21日、釜山市によると、40階段は6・25戦争が始まると、釜山に押し寄せた人々が形成したピラン村であるボクビョンサン(伏兵山)村と港の低地をつなぐ通路だった。

伏兵山は臨時政府庁舎と景武台、米国大使館などが集まっていた「大庁路」に近く、比較的安全だったため、ピラン民が好んだ場所だった。

伏兵山ピラン村から40段の階段を少し歩くと、ピラン民の主な仕事場であった釜山港1番埠頭の海岸埋め立て地がすぐにつながった。

ピラン民は毎日仕事に出かけ、飲料水を汲むために40段の階段を上り下りしなければならなかった。

いつも人が多かったため、40階段は「国際市場」が成長する前に、救援物資を売買する場が開かれる空間でもあった。

現在、釜山市中区東光洞の「40階段文化観光テーマ通り」にある40階段は、1953年に元の階段から南に約25メートル離れたところに新しく作られたものだ。

1953年11月、釜山駅一帯で3万人の被災者が発生するほどの「大火災」が発生したが、その時に階段が焼失したため、今の場所に移転したと言われている。

40階段が一般人に有名になったのは、1999年に公開された映画「仁義なき戦い」の背景となったからだ。

映画でキラー役を演じた俳優アン・スンギさんがバーバリーコートを着て「ハリデイ」(Holiday)の音楽を背景にアクションを披露した場所がまさに40階段だ。

中区は現在、40階段の近くに「40階段記念館」を運営し、当時のピラン民の姿を直接見ることができる写真と各種資料を展示している。

40階段周辺にはピラン民の生活像を示す各種造形物も設置されている。

水桶(バケツ)を担いで運ぶ子どもを表現した造形物や、ポップコ-ンおじさんの造形物、アコーディオンを弾く楽師の姿などが作られている。

40階段とその周辺は2006年度建設交通部が選定した韓国の美しい道100選に指定されたこともある。

釜山中区の関係者は、「戦争の惨状で辛かったピラン民が'それでも生きなければならない'という意志を燃やし、第2の故郷である釜山で厳しい生計を維持していたのが今の40階段一帯だ」とし、「悲惨な生活と哀歓がそのまま含まれているここを巡ってピラン民の話を思い出してほしい」と述べた。
BOGYU PARK BOGYU PARK · 2023-10-25 21:21 · 閲覧数 63
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